見つめる、見つめられること

ボクには自分のデジカメで撮った、お気に入りの動物画像がいくつかある。
そのうちの何枚かを見つめていて、あることに気付いた。
心にとどまる写真というのは「被写体(動物)がカメラ目線」なのだ。
カメラのレンズを通して「見つめられている錯覚」が起きるようだ。するとなにか自分の気持ちを見透かされた気持ちになったり、言葉に出来ないが一種のコミュニケーションがなりたったような感覚になる。

これはボクだけではないだろう。でも、感じる印象はきっと人それぞれだ。そのときの気分によっても感じ方は変化するかも知れない。
それはそれでよしとしよう。
でも、今度は自分が人としてでなく、被写体となっている動物の気持ちになって「レンズを見つめる」というのはどういう心境なのか考えてみた。
それはきっと「ストレス」ではないだろうか。

ボクはサファリドライブ中、野生動物と「目が合う」ことがある。
特に目が合うのは草食動物たちだ。彼らは車に乗っている僕らが次にどんな行動を起こすのか注意しているように思える。つまりいつでも逃げ出せるように警戒しているのだろう。
彼らは警戒を怠らない。不注意は死につながることを知っているのだ。
一方、肉食獣たちはなるべく目が合わないようにしているのがよく分かる。彼らは極力人間の行動を無視するような態度をする。いちいち人間活動を気にしていたら、疲れてしまうのを知っているらしい。それにもっとも重要なことだけど、肉食獣にとって目が合うというのは「怒り」や「攻撃」を意味している行動なのだ。
そのように、気になるスチュエーションが起こったとき野生動物はレンズを見つめるのだろう。そして彼らはレンズに向かって恐怖や心配、怒りなどを訴えているのかも知れない。

もっとも見つめてくるのはバッファローだ

そうならナチュラリスト(自然観察者)を自称するボクにとって、一番してはいけないことではないか。ナチュラリストならどんなことがあっても野生動物の生活を一瞬でも脅かすことはすべきではない。
でもボクはナチュラリストであると同時に、サファリガイドでもある。
ガイドだから観光客に満足してもらわないと意味がない。たとえばボクが50m離れたところから双眼鏡でライオンを観察して満足できても、そのライオンの側に他の観光客を連れた車が10mまで近づいていたとしたら、僕らの観光客はきっと満足しないだろう。
ボクの活動はとても矛盾している。でもボクはナチュラリストとしてだけではここ(営利目的のロッジ)で働くことはできないので、これからも野生動物にストレスを与えながらサファリを繰り返すだろう。

ボクはかわいいと思う
でも彼らはボクを見てなにを思う

そう考えてからは、ボクはお気に入りの画像を見るときの気持ちがすっかり変わってしまった。今のボクには、画像の中の野生動物たちが「お前は邪魔だ」と訴えているような気分になる。
世の中には「動物がカメラ目線」の写真が溢れている。ボクは動物写真家ではないので、これからは記録を残すために自然な野生動物の写真を残そう。
画面の中で動物だけじゃなく観光客を乗せた車が入ってるほうがマサイマラ的には自然な風景だ。
動物がレンズを見つめることよりも、動物が見つめている方向になにがあるのか観察するほうがボクにとって価値のあることだと思う。