読めない川渡り習性

マラ川に向かって移動するヌーたち

[8:40]
セレナロッジのすぐ下を流れるマラ川のそばは、緊迫した空気に包まれていた。
数千頭以上のヌーとシマウマたちがぞくぞくと集まり始めている。みんな対岸へ渡るつもりなのだ。
そして最も頻繁に川渡りをするポイントでは、押しつ押されつジリジリと川岸へ近づくヌーたちと、それを観察するサファリカーがずらりと並んでいた。
ヌーたちは岸辺に整列し、川面をじっと見つめている。
対岸には以前溺死してしまったヌーの遺体が打ち上がり、ハゲワシがたかっていた。それを見て躊躇しているのだろうか?
それよりも、どうしてそんなに危険を冒してまで川を渡ろうとするのか?
川の向こうに、リスクを負ってでも手に入れたいものがあるとはボクには思えない。
もうこれは、「本能」や「自然淘汰」という言葉しか考えつかない。

川面をじっと見つめるヌーたち

[8:50]
しばらくしてヌーたちは、ここでは渡れないと判断したようで別の場所へ移動を始めた。移動していく場所は川岸の茂みの中だった。その茂みの中は行き止まりになっているのをボクは知っている。
観ていると、次々と中へ入っていくヌーたちは出口が見つからず、狼狽えているようだ。茂みの中をぐるぐると徘徊し、緊張して仲間を呼び合う声を出した。
後続たちはそんなこと知らず、さらにその茂みの中へ我先にと入っていく。やがて彼ら特有の「集団パニック状態」がはじまった。
訳もわからず走っているヌーを見かけたヌーは同じように後を追いかけ始める。誰かが右へと走ると、みんなが一斉に右へ走り出した。今度は左に走るものがあり、みんなは左へ無心に突進していく。彼らの足踏みで、土煙がもうもうと上がった。

訳もわからず疾走するヌーたち

ようやくヌーたちの興奮が冷め、同時に川を渡りたい熱望も薄れてしまったようだ。大集団はちりじりに移動を始めた。
僕らもこのポイントはサファリカーが多すぎてヌーが警戒していると判断し、別のポイントへ移った。

[10:31]
僕らが次に向かったポイントには4〜50頭のシマウマが渡りたそうな顔をして対岸を見つめていた。
シマウマはヌーほど臆病ではなく泳ぎも上手いので渡りそうな気配が十分あった。
案の定、1頭のシマウマが水に浸かり泳ぎ始めた。それに続いて他のシマウマ達も次々と対岸を目指し泳ぎ始めた。
そしてそばにいたヌーたちも川へ飛び込んで続いた。
僕らは興奮してカメラと双眼鏡を覗く。長く待った甲斐があった。

川渡りが始まって4、5分が経過したときだった。
何を思ったのか、シマウマ達はせっかく渡ったマラ川をまた泳いで引き返し始めたのだ。続いて、苦労して渡り終えたはずのヌーたちでさえ引き返してきた。
対岸に目を凝らして注意しても、なにか特別危険な生き物がいたとか、悪い都合があったようには思えない。
ボクは毎度、野生動物の行動を考えるとき、自分がその動物になった気持ちで想像する。でも川渡りをするシマウマやヌーの気持ちはなかなか理解できないものだ。
あえて彼らの気持ちを表現するなら、
「隣(対岸)の芝生は良く見えたけど、実際はたいして変わらなかった」
ではなかろうか。

逆戻りを始めたシマウマ


なんだか野生動物のくせに、「無駄にリスキー」な生活をしているように思える。
また戻ってきたヌーの群れはほっとした表情で、多くのヌーが群がる草原へ移動していった。
「みんなと同じことや同じ場所にいないと不安になってしまう日本人のようだ」とも思った。(これは言い過ぎか?)

いつか友人たちと、「もし、橋があったらヌーは渡ることができるか?」
考えてみたことがある。
警戒心の強い彼らは人工物を嫌い、やはりいつものように川の中に飛び込むのだろうか。
それともこれだけの数のヌーがいれば、ある日賢いヌーが現れて橋を渡ると快適だということに気づき、学習して皆を導くことができるのでは、と思ったこともある。
もっとも、それをしないでいつも命がけのヌーたちだから僕らは魅了されるのだろう。

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