ウガンダ・ゴリラトレッキング
無垢な顔をしたゴリラの子供
ヒヒはサファリドライブに行かなくてもロッジで容易に観察できる。そしてあんがい見ていて飽きないものだ。それは仕草が人間に近いからだと思う。というより、僕らが隠しようもなくサルの仲間なので「動き」が同じなのだ。
同じといえば、類人猿の中で最もヒトに近いといわれるチンパンジーとゴリラは、ヒトの遺伝子と97%までもが同じらしい。(チンパンジーは98、5%)
ほんの僅かな違いなのに、ヒトと彼らはなぜこんなにも様子が異なるのか。そんなことを考えると、野生をこの目で見たくてウズウズしてくる。
しかしボクの住むサバンナにはチンパンジーもゴリラも棲んでいない。
では何処にいるのか。それはアフリカ大陸の中心部、赤道に近い熱帯雨林の深い森の中だ。
ボクは以前、東アフリカの3つの異なるチンパンジーの生息地を訪れたことがある。チンパンジーの研究者として有名なジェーン・グドール女史にも現地で直接お会いしたこともあり、それがちょっとボクの自慢だったりする。
しかしまだ、ボクは野生のゴリラを見たことがない。だから休暇を利用して会いに行こうとずっと計画を練っていた。これはボクの長年の夢でもある。そのときが来たのだ。1月29日、
ボクが目的達成に定めた場所は、ウガンダ国に2つあるゴリラトレッキングで有名な国立公園の一つ、「ブウィンディ国立公園(BWINDI Impenetrable National Park)」だ。その他にも、コンゴ(元ザイール)やルワンダにゴリラの観察できる国立公園が存在する。どちらにしてもケニアにゴリラはいないのだ。
ボクはナイロビから陸路でバスを利用して現地へ向かう。これが結構しんどかった。二日間かけて22時間の道のりを移動したのだ。
ちょっと頭がフラフラし一息つきたいとも思ったが、明日からのゴリラ観察に参加する気持ちを固めていた。
というのは、ボクにいくらかの問題があったからだ。
ここでゴリラトレッキングの説明をしなければいけない。
野生のゴリラに歩いて近づくため、訪問者のインパクトは最小限に押さえなければいけない。つまり大勢の人がいっぺんにじろじろ眺めるのは、ゴリラ(だけじゃないけど)にとって非常にストレスを与えることになる。そこで公園管理局が許可した人数は一日12名。たったの12人だけなのだ。
このゴリラ観察許可書はウガンダ野生生物局(UWA)が1年前から発行し、世界中のゴリラ好き(?)があっという間に予約してしまうらしい。
それではボクのような「かなり気まぐれな訪問者」は許可が一生貰えないではないか、というとそうでもなく、予約発行は10名だけで残りの2名分は現地で直接手に入るらしい。
ボクはそれに賭けてここまで来たのだ。なに明日がダメなら次の日がある。それでもダメなら別の公園へ行こう。そう最初から心に決めていたので、明日はまず「運だめし」にとにかく並んでみようとした。
公園のゲートにある地元運営キャンプサイトのバンガローに泊まる。30日、
朝6時半に起床するが、まだ外へ出ても暗かった。
ここはボクの住むマサイマラより遥か西、コンゴ国境付近だということを思いだした。わりと肌寒かった。森の空気は様々な木の香りと湿度が混ざり合って瑞々しい。鳥の鳴き声も多い。
キャンプサイトが用意してくれた朝食を食べて、お昼のお弁当を貰い、公園管理局へ向かう。ゴリラトレッキング参加者は8:30までにはここに集合しなければいけないのだ。遅れた者は許可書があっても無効である。
もうすでに何人もの白人観光客が待っていた。話をするとみんな許可書を持っていて、許可なしはボクだけだった。みんな口々に参加できたらいいね、と励ましてくれた。
ボクは集まってきていた公園レンジャーの一人に目が止まった。どこかで見た顔だと思ったら、タンザニアの大学で一緒に留学していたウガンダ人だった。彼の名前はデイビット・キッサと言い、ボクの留学した時期、最初の野外実習の生徒統括代表に選ばれた優秀な人物だった。
彼の名前を叫ぶと、キッサはボクの顔を見て驚き、そして言葉を交わす前に抱きしめられた。ボクも驚いたけど、彼の方がもっとびっくりしたようだ。
ボクの記憶が確かなら、キッサはウガンダの別の公園で働いていたはずだった。そのことを尋ねるとその通り、彼は4ヶ月前までキバレフォレストというチンパンジーの見られる別の公園で働いていたという。そして人事異動で今はこの公園の観光局長(ツーリズムワーデン)に着任したのだ。
彼に許可書がないことを話すとあっさり大丈夫だ、と言われた。そしてボクの他にも許可書のないウェイティングの人も含め、今回は全員出発できることになった。キッサのお陰かも知れない。
公園管理局長のキッサによるブリーフィング
僕ら参加者は集まって、観光局長キッサからの挨拶が始まった。ブウィンディ国立公園の特殊性についての説明を受ける。ここは世界でも類を見ないとても貴重な場所であること。それは1994年にユネスコの「世界遺産」に登録されたことでもうなずける。
ここで観察できるゴリラはマウンテンゴリラと言い、ゴリラには3種の亜種があるうち、もっとも個体数が少ない絶滅危惧種だという。そしてここにはチンパンジーも生息しており、この2種が一緒に生存している公園は世界にここだけだ。
期待に胸が高まる。
そしてキッサは、許可書についても語る。
みんなが275US$払って手に入れた「ゴリラ観察許可書」は、ゴリラが見られるまで有効であること。つまりゴリラが今日見られなかった場合は100%払い戻しが可能である。個人的な体力によってトレッキングを断念してしまった場合も同じである。少し前には、3週間以上もゴリラが人前に出てきてくれなかったこともある。そのように野生なので絶対に観れるかどうかという保証は一切もてない。
また、ゴリラとヒトの遺伝差はほんの3%しかないので、風邪や病気を持っている者の入園は禁止する。理由はゴリラにも同じ病気が移ってしまうからだ。そのような話のあと、僕ら参加者は2グループに分かれた。
ボクはMグループだった。参加者は6名だ。それにガイドとアシスタントガイド。他には体力に自信のない参加者が依頼した荷物運びの地元ポーター1人。僕らの安全を守るため同行してくれる国の兵士二人だ。
他には先行してゴリラを探す「トラッカー」と呼ばれるレンジャーたちが、もうとっくに現地へ赴いているという。
もう一度、ガイド暦6年の「ガデイ」からゴリラ観察についての入念な説明を受ける。特に強調されたのは、ゴリラに様々なストレスを与えないよう、発見して観察する時間は「1時間」だけということ。ゴリラとの距離は7m以上近づかないこと。それ以上ゴリラが近づいてきたら退避すること。観察するときはしゃがんで威圧感を与えない。喋らない騒がない。カメラのフラッシュは焚かない。飲食喫煙禁止。ゴミを落とさない、などだ。
トレッキング開始。
最初は平地を歩く。湿度が高いのだろう樹木には苔が張り付く。[8:45、気温24、湿度60%]
僕らは出発した。
思ったよりも歩くペースが速い。ガイドは一番足の遅い者を先頭にして、みんなのペースを一緒に合わせて同時にゴリラに会う。と言っていたが、最初は関係ないのだろう。
森の中に入ったとたん、小道の両側には豊かな緑が現れてボクを魅了する。写真を撮らずにはいられなくなって、後ろからフォロウしてくれる警備の兵士を待たせた。
目の前に奇麗な小川が流れ、それを渡る。橋が無いので石の上を歩くが、どれも不安定で滑りやすい。参加者2名がさっそく片側の靴を水没。ついでに長靴を履いて川の中でアシストをしていたガイドの長靴にも水が入ってしまった。
これからまだ長い道のりなのに、気の毒に思う。
小道は急配向の山をジグザクに登っていく。
足元に注意しながらもときどき辺りの様子を眺める。一望するだけで多種の植物が密に成育しているのがわかる。ガイドブックによれば324種の植物が分布し、そのうちの10種がこの付近の固有種だという。
森の景観
一つの樹にいくつもの植物が共存・寄生する
熱帯雨林特有の板根のある樹
イチジクの木の仲間は熱帯雨林特有の根をなしており、板のような根が張り出している。高木の樹皮にはびっしりと苔が生える。タニワタリの仲間だろう、大きな樹に寄生する葉の広い植物。それに太い蔓が木々に絡まりぶら下がっている。こういうところをまさしくジャングルと呼ぶのだろう。だが思ったよりもジメジメしない。それは今が乾季だからだろうか。ここは年間平均で148日雨が降ると言われ、
「こんなに良い天気でもいつ雨が降ってもおかしくない」
と、ガイドが言っていた。きっと雨が降ったらトレッキングは過酷なものになると容易に予測される。
ランの仲間(Vigna Spp)
キノコの仲間
一緒に参加した人達は年配の方が多かった。トレッキングに苦労している様子で、時々立ち止まって荒くなった息を整えなければいけない。管理局が無料で貸してくれる杖がおおいに役立っていた。
山をさらに上へ上へと登っていくと、地面が乾燥してきた。標高が少し上がり、日本の照葉樹林ような植生に変化した。ここで標高1830mくらいだとガイドが言う。
[10:00]
山の頂上付近で一休み。辺りにはこの山よりも高い山が連なっている。どのくらい歩けばゴリラに会えるのだろうか。ちなみに昨日はどのくらい歩いたのかガイドに尋ねると、ほんの2,3時間だったという。
気を新たに再出発。今度は「薮漕ぎ」をしながら山を下る。薮漕ぎとは、道なき道をガイドが山刀で下草や低木を切り払いながら前進する方法だ。
ガイドとアシスタントは巧みに良く切れる山刀を振り回し、僕らが歩きやすい道を作る。急な斜面では枝に掴まったり、太い枝は下をくぐり抜け、息を切らしながら進んだ。