加藤のひとこと集
ボクがムパタを辞めるイイワケ
5年間でここを離れる計画は最初から決めていたことでした。予想外は、HPを継続していて思った以上に沢山の方が覗いて楽しんでくれたことです。通信事情のままならないマサイマラでの更新は苛立ちと焦りの連続で、何度放棄したい気分になったか。。。
そんな不規則な更新でも根気よく楽しみにしてくれた方々に、とっても感謝しています。このHPの継続と感想を述べてくれるみなさんとのやり取りは、自分にとって有意義でちょっとした自信にも繋がった気がします。世界でも有数の野生動物の宝庫マサイマラ国立保護区。人の良いケニア人。理解してくれる同僚。屋賃料無し三食サファリ付き。
ナチュラリスト見習いにとって、これほど恵まれた環境は他にあるでしょうか。一体、ボクにどんな不満があるのでしょう。皆さんが思うように、ボク自身でさえ考えれば考えるほどここを離れなければいけない理由が見付からなくなってしまいます(笑)
たぶん、それがボクのここを離れる理由ではないか、と思います。ボクは本当にラッキーだと思ってます。偉そうなことを言ってますが、ボクは日本が嫌いでアフリカへ逃げ込みました。何にも出来ない自分をすべて日本のせいにして、バランスのとれた野生の世界に魅力を感じてしがみついたのです。
そしてムパタがガイドとしてボクに使命を与えてくれ、なおかつマサイマラがナチュラリスト志望のためのかけがえのないフィールドを提供してくれました。そんな優しく包み込んでくれたアフリカの自然に感謝しきれない思いです。
だから、執着したくないと思います。好きだから、しがみ付きたくないのです。いつまでもここにいたとき、いつかマサイマラでの生活が惰性と感じるのだけは嫌だと思ってしまうのです。
5年間というのは、良い区切りである気がします。そろそろ「ボクにとってのマサイマラはもう卒業」と考えようと決めました。
そしてボクは自分自身を白紙に戻して、また旅人として新しい場所を探そうと思っています。生涯ナチュラリスト見習いでいるために、自分勝手で充実した日々を何処までも続けたいのです。
もしまた気が向いたら、何処かの僻地よりまたHPを作成するかもしれません。そのときまた、皆さんとコミュニケーションができたらいいですね。最後になりますが、こんな自分のために「サファリ通信」を作成するためのディスクスペースを無料で快く提供してくださった音楽家の坂本龍一さんに、深く感謝いたします。
12月、
以前、何度か日本の民放ラジオでボクのコラムが放送されたことがある。
放送するにあたってラジオ局は、話しやすく理解してもらいやすいように、ボクのへたくそな文章を書き直ししてくれた。プロの人が仕事をするとこうなるのか、と感心した。
でも、「ヌーの川渡り」の話しを推敲してもらったときは困った。ヌーが決死で川を渡る行動を「遺伝子がそうさせるのか…」と、ボクの思想を変えられてしまったのだ。
そういう考え自体に興味が無いわけじゃないけど、ボクは生き物の行動をなんでも遺伝子のせいにする傾向は、好きになれない。申し訳ないけど、
「神様が運命のふるいにかけているようだ…」に戻してもらった。
科学者(生態学者)が聞いたら呆れてしまうかもしれないが、ボクらしい答えだと思う。そもそも、自然の現象に答えなんてないかもしれないから。11月、
仲の良いケニア人スタッフに、
「カトー、日本には何部族あるのか?」と聞かれました。
日本は単一民族で日本人しか部族が無い、と答えると、
「だってカトーの肌の色は黒いじゃないか、日本人は白いぞ」
!!、なるほど、確かにボクは日焼けして黒い。
そしてボクはケニア人に「日焼けとは…」ということを説明しなければならず、パンツをずらして色白の元の肌を見せるはめになった。前半の1週間、休暇でマサイマラを離れていました。今回は遠くへ行かずにナイロビでのんびりしました。
なんの予定もなく日がな一日友人から借りた日本のドラマビデオやナイロビのビデオレンタル屋で借りたハリウッド映画を見続けていると、いったい自分が何処に住んでいるのかわからなくなります。それを楽しんでいるボクは一種の現実逃避でしょうか?そしてどんどん夜行性になっていき、朝5時に就床するという、5時起きのマサイマラ生活とは逆転した生活になってしまいました。
半日だけ友人とナイロビ国立公園へ出かけて動物相の厚さにびっくり。ライオンもいればクロサイもいるし、シロサイは群れでいました。(いつもはこんなに一杯観れない、と友人は言ってます)あんなに都市と隣接しているのに野生の生活があるなんて、新鮮な驚きです。10月、
のどが痛い、と思っていたら鼻が詰まり、咳が出た。どうやら風邪をひいたらしい。スタッフに話すと季節の変わり目で流行っているという。
ボクは鼻をかみすぎて粘膜が弱ってしまったらしく鼻血を出した。鼻血が止まらず半日仕事を休んでしまった。
鼻血ことを別のスタッフに話すと自分もだよ、と同情してくれた。でもその人は数日後マラリアと診断され休暇を取った。
ボクもまたマラリアかなと心配したが、風邪薬を服用して直ってしまったのでやはりボクはただの風邪だった。ボクのHPには「朝晩冷え込むのでスキーウェアを持ってきて下さい」と書き込んである。いくら「サバンナは冷え込む」と案内に書いてあっても、日本から来る人々は信じず防寒具を持ってこないので、わざと大げさに書いているのだ。
でも最近は変動の激しい気象状況になってしまった。おかげで、
「わざわざ厚手の防寒着を持ってきたのに全然必要なかった、どう責任取ってくれる」
とゲストに文句を言われてしまった。それもしょうがない。
みなさんどうぞ怒らずメールして下さい。いつでも最近の状況を教えますから。9月、
愛用していたデジカメ(FinePix4900z)を修理に出した。
野外であまりにも酷使して、しかもメンテナンスを怠ったためにレンズ内に砂ぼこりが入り込み、それが画像に写り込んでしまうようになったためだ。
現在、日本のサービスでオーバーホールを行っている。それまではコンパクト(IXY200)を利用しなければいけない。やはりズームの利かないこの機種で動物記録を録るのはちょっと厳しい。8月、
車イスの少年としばらくサファリをしていた。
ときどきハンディキャップの方達と一緒にサファリして思うことは、ボクよりも五感を使ってサバンナを満喫していること。
この前は聾唖の方とサファリをして過ごし、
「あなたが羨ましい」
と、言われたことがあった。
とても楽しんでいる様子をみるとボクは嬉しくなり、同時に自分のガイドという仕事を誇らしく思う。
ハンデを気にしないでもっと沢山の人達がケニアに訪れてくれたらいいな。この多忙期に「ドキュメンタリー番組に出演してくれ」と頼まれ、バラエティは嫌いだけど、マサイマラの認知度を高めることができるのなら、と承諾した。
ボクはレポーターを案内して真剣にサファリする。しかしレポーターはなんだか集中力散漫で、あんまり自然に興味ないみたい。
どうもおかしいと思ったら、最後にレポーターから手紙を渡された。それは始めてもらう親父からの手紙だった。
そうか、そういう趣旨の番組(しかもバラエティ)であったか、と納得。
後悔すでに遅し、ボクは今思えば恥ずかしいほどに動揺してしまい、そしてカメラレンズを向けられ手紙を朗読させられる羽目になる。しかも3回も。
ここまで書いたらどの番組かわかってしまうかも知れないけど、どうかボクの知り合いは観ないで下さい。ボクは泣いてません。7月、
毎年恒例の「動物大移動」は遅れていますが、なんだか予想以上にマサイマラは観光客で賑わい始めました。イラク戦争やSARSの心配がようやく無くなり、楽しみにしていた人がどっと押し寄せてきた感じですね。
観光産業に従事するボクのロッジ的には大変良いことですが、ハイシーズンになるとサファリマナーの悪い人も多くなり、それを目の当りにしてしまうとちょっと疲れる時期にもなります。
でもこのサイトを通して、これからの野生動物と人の関わり合いもみんなで考えていけたら良いな、と思っています。
ときどき僻地による電話事情難で返信が遅れることもありますが、どんどんみなさんの意見をお聞かせ下さい。
6月、
昨年に引き続き、中・高校生を対象にした「アフリカ野生教室」が7月中旬に開催します。今はその準備に追われています。うれしい忙しさです。
深刻的なダメージを受けてしまったケニアの観光産業ですが、ボクの働くロッジを見るかぎり、少しずつお客さんが増えてきた気がします。
これから「動物大移動」の始まるハイシーズンに向け、またマサイマラにたくさん人が溢れるのかな。5月、
日本へ帰ったときもらったナショナル・ジオ・グラフィックに、タンザニアのゴンベ国立公園とチンパンジー研究者ジェーン・グドールの話が載ってました。そこで双子のチンパンジーの赤ちゃんの話が出てきます。ちょうどそのとき(4年前)、ボクはジェーンさんと一緒だったのです。あの双子が今も元気に健在していることがわかり、うれしかった。
思えばあのとき、当時ボクはまだタンザニアの大学を出たばっかりで、1人旅のボクをジェーンさんはとても優しくしてくれたました。そして、将来日本人のためのナチュラリスト・ガイドになりたいと話したのです。
「それはとてもいいことね、がんばってちょうだい」
って、言ってくれた。あのときの励ましがあったからボクはここにいるのかも知れない。4月、
今年は6年ぶりに春の日本へ一時帰国してきました。
タイミングばっちりで「お花見」を楽しむことができました。
いつも実家には2,3日しか滞在しないボクですが、今回はのんびりしたお陰で地元の船頭さんが沢山魚を食べさせてくれました。うれしかった&うまかった。やっぱり故郷っていいな〜。
日本の春がどんなに良いところか、日本からやって来たお客さんに力説しています(笑)3月
今月も異様に暑かった。この乾燥は異常だ。このままいくとマサイ族のみんなは牛に与える草が無くなるので死活問題です。
2月
2月は今までに経験したことの無い暑さでした。
そしてイラクにおける戦争問題のせいで、日本人お客さんの少ない日々でした。
あまりに暇なので、けっこうプールで泳いでました。お陰で真っ黒になってしまい、最近マサイの友達に会うと、
「お、すっかりケニア人になったな〜」
と喜ばれます。2月
フィールドレポートに掲載しましたが、休暇中に別の保護区へサファリしてきました。まだまだ近所(?)には楽しそうなところが沢山あります。これからも少しずつ、色んな場所へ訪れてみたいと思っています。
今回は3ヶ月間の休みをまとめて3週間休んだのですが、こうするとやっぱり「休んだ〜」って気になりますね。みなさんにもお奨めしますよ(笑)
さて、リフレッシュしてまたマサイマラのフィールド日誌に専念します。ようやくグローバルチャレンジャーの連載フォトコラムが最終回を迎えました。(拍手)
おおくの方から応援メッセージをいただきました。沢山の方々と新しい繋がりも出来ました。毎回締め切りが近づくにつれ焦り、苦労して文章を考えた甲斐があります。まだしばらく掲載されるようなので、良かったら覗いて下さい。
2003年1月最近頑張って更新しています。電話の調子が良いのでマサイマラからも更新できるようになりました。
今まではサファリで観察した、ある特定の話題を取り上げ作成していましたフィールドレポート。今度から、毎回自分が記述している実際の記録用紙より、興味のある話題をなるべく提供できるように「月刊サファリダイアリー」を掲載することにしました。毎回サファリをするたびに感じている色々なことを画像とともにコメントしています。
また新たに、国立保護区の運営機関であるマラコンサーバンシーの月刊報告書を訳して掲載することにしました。ボクの不在時でも客観的にマサイマラの情報が得られます。実際、こちらの報告書は興味のある事柄がいっぱいです。
その中でもし興味や疑問を持った事柄がありましたら、どんどんボク宛にメールして下さい。一緒にサバンナのことを考えませんか。そして「Q&A」も充実させていきたいと思います。
12月
10月いっぱいは、休暇でマサイマラを不在し、一時帰国していました。メールによる返答が11月まで出来無かったことをお詫び申し上げます。
今回の日本旅行はこれといった目的を持たず、ただ美味しいものを食べて、友達に会って回ろう。と、考えていました。
しかし日本に着いてすぐ空気が合わなかったのでしょうか、風邪をひいてしまいました。そのせいもあって休暇後半になると人に会うのが億劫になってしまいました。
そしてひとりで街をブラブラしたり、ビデオを観て過ごす日々を送り、なんとも快適だと思いました。
ところで日本にいると自分を孤独だと感じることが間々あるのですが、それはボクだけでしょうか?9月
今年の夏は例年以上に忙しい毎日でした。日本が景気が悪いなんて嘘ですね。
話を伺うと、去年のテロの影響で来れなかった人が今年やっと来れたというケースも多いようです。8月
7月には日本の高校生30人と、マラ川沿いでキャンプ生活を過ごしました。
サファリをしながらマサイ族と散歩したり、小学校を訪問しました。多感な生徒さんとともに過ごし、僕自身が沢山のことを学んだ気がします。7月
6月の休暇で、東海岸のマリンディへ行ってきました。
真っ白いパウダービーチが広がっています。ここにはマリンディ海洋公園があり、ガイド付きのシュノーケリングをしました。
サンゴ礁はそんなに元気ではなかったですが、透明度良く、水深3mほどでインド洋のチョウチョウウオの仲間やツバメウオの群れ、ナポレオンフィッシュにも会ってしまい感動しました。野生の王国ケニアおそるべし!です。6月
5月にラジオ番組に出演しました。
緊張して何を話したのか良く憶えていませんが、どうやら「マサイマラのムツゴロウさんになりたい」と口走ってしまったらしく、メールで皆さんから「マサイマラのムツゴロウさんへ」と、メッセージが届くようになりました。表現間違えちゃったかな?(笑)
マサイマラへ来て3年が経ち、まだまだムツゴロウさんのようには成れませんが、これからも移り変わる自然を見つめ、言葉をつぐみだしていきたいと思います。5月
3月はエジプトの紅海へダイビングへ行ってきました。
世界一の透明度というのは、あながちウソじゃないかも知れない。メートル級のナポレオンフィシュにも出会えたし、サメ、カメにも遭遇。あまりに楽しくて、遺跡巡りをしないで帰ってきたほどです。おすすめ!2002年3月
2月は何かとテレビの撮影やら雑誌の取材で忙しかった。
フィールドにいつもより長くいられるのは楽しいことだけど、気が重くなるのはマサイ族との交渉だ。撮影させてもらう代わりにお礼としてお金を払うのは分る。でも、お金を払ってもしてくれないことを無理やり強制させるのは気が引ける。結局のところ、要求する取材班が高いお金を払ってしまうわけだけど、そうすると次に交渉するときにさらに値段が高くなることは必須だ。そうやって、撮影許可の値段がつり上がっていく。これはマサイ族の価値観を狂わせることにならないだろうか。
ボクはメディアを通して日本のみなさんにマサイマラのことをもっと知って欲しい、と思う反面、それを行うことによって彼らの文化が変化してしまうことに悩みを感じずにはいられない。
・メッセージ、質問は下記のアドレスまで
mpataclub@africaonline.co.ke