7月、マサイ族は悲惨か?
いつもの滑走路へお客さんをお見送りに行くと、別のロッジに滞在していたらしい日本人の老夫婦に出会った。
ひとしきりマサイマラの野生動物の話で盛り上がった後、話はマサイ族のことになった。
老夫婦は一言、「汚らしくて、あれは悲惨だった」それだけ言うとマサイ族の話を終わらしてしまった。一瞬にして場の雰囲気が沈んだ気がした。
その後会話が弾まなくなり僕らのお客さんは、その老夫婦から遠ざかるようにして離れて行き、二度と彼らと会話することはなかった。
ボクは老夫婦の言葉が今もずっと心に引っ掛かっている。どうしてあんなことを言ったのか不思議でならない。
戦士達が集まって、身体に赤い塗料を塗っている。
赤はマサイ族のシンボルマークだ。
カメラを向けて「はい、笑って!」と言ったら、ものすごく楽しそうに笑ってくれた。
旅に出て、その人が何を感じるのかは個人の自由だ。十人十色で良いと思う。でも異文化に触れるとき、旅人はなるべく相手との価値観の違いを尊重すべきではないだろうか。
今更ボクが文章にしなくても日本でも知名度が高くなっているマサイ族。彼らの生活の基盤は、牛の世話を中心とした牧畜だ。マサイ族の牛として生まれた仔牛は、家の中で保護され大切に育てられる。オトナ牛は、集落の中心に集められて夜は猛獣から守られる。普段のマサイ族の常食はミルクだ。特別な儀式のときだけ牛はみんなのご馳走になる。牛の皮は衣類やマットレスに変わり、牛糞さえも家の建築材料となる。家畜は財産というより、お互いに縁を切ったらサバンナで生きていけないので、かけがえのない家族と言ったほうが良いだろう。
そんなマサイ族の生活と日本の生活を比較して「どちらが優れているのか」なんて言えるのだろうか。
老夫婦はきっと、マサイの村を訪問した際にちゃんとした説明をしてもらえなかったのではないだろうか?、もしボクがガイドとして同行していたら、マサイ族がどんなに伝統に誇りをもってここで生活しているのか、力説できたのに。
それでもマサイ族のことを「貧しいから土にまみれた生活をしている。彼らは文明生活の快適さを知らない」なんて思うのなら、ボクはそんな旅人を心の底から「あなたの方が悲惨だ」と、非難するだろう。
旅をする理由はどうであれ、自分自身でマサイの村を訪問しようと決めたのなら、閉じた心で人に接することほど阿呆らしいものはないだろう。
普段より心をオープンにできれば、さらにもっと沢山の感動が訪れる。それが旅の醍醐味だと思う。
ボクはそのことを沢山の人に知ってもらいたい。3)7月のページへ
2)5月、6月のページへ
1)4月のページへ